Je le caresse
玄徳の癖は頭を撫でる事だ、と玄徳軍の人間なら誰でも知っている。
その癖は彼の性格同様誰にでも分け隔てなく行われ――分け隔てなく行われすぎているからこそ、一部の大人からは嫌がられていた。
しかし花は、自身がまだ子どもだからかと悩むところではあるが、玄徳に頭を撫でられることが大好きだったのだ。
「……なのに、最近頭撫でてくれない……」
ぽつりと零れた言葉に、芙蓉姫が器用に片眉を上げた。
心の中で呟いていたつもりが、思わず口から出てしまったことに慌てるが、時すでに遅し。
にやりと笑みを浮かべた芙蓉姫が、円卓の向こうから身を乗り出してきた。
「なーに、何の話?」
「え、や、別に……」
顔を赤らめている時点で「別に」な話ではないことは明白で、芙蓉姫の笑みは更に深くなる。
恥ずかしい気持ちがある反面、言ってしまいたい気持ちもある。花は、大した話ではないと前置きをして重い口を開いた。
「えーとね、最近玄徳さんが頭撫でてくれなくて……」
「はぁ? 頭?」
「う、うん……。ちょっと前まで撫でてくれてたんだけど、ここ数日全然で」
「撫でてもらいたいとは思わないけど……何か思い当たる節はあるの?」
言葉にすると本当に大したことのない事だったが、それでも芙蓉姫は心配そうに眉根を寄せた。
思い当たる節といわれても、花自身は以前と何ら変わらない生活を続けているし、ここ数日で変化した事などなにもない。
「何もないの? うーん、じゃあ原因究明は諦めて、撫でて欲しいって気持ちをそれとなく伝えてみたら?」
「それとなく?」
「別に正面きって、何で最近頭撫でてくれないんですか―って聞いてみてもいいとは思うけど」
そんな事は出来ない、と花は大きく首を横に振る。
そうなると、芙蓉姫提案の打開策は残るところは「撫でて欲しいとそれとなくアプローチする」というもののみとなる。
どうすれば良いかわからず芙蓉姫に助けを求めるが、彼女は笑って肩をすくめ目の前に置かれた茶を静かに飲み干した。
「私だってわかんないわよ。だって、玄徳さまに頭撫でて欲しいって思わないもん。そういうのは、願ってる人じゃないと思いつかないもんだと思うわよ」
アドバイスにならないアドバイスをもらい、花は仕方なく次の日から行動を開始する事にした。勿論、成果は芙蓉姫に報告させられる事にもなってしまったのだが。
「今回は、芙蓉姫ちゃんとしたアドバイスしてくれなかったんだから、報告する必要ないと思うんだけど……」
小さく文句を呟きながら、花は朝食の載った盆を抱えなおした。
最近の玄徳は忙しいようで、花ともあまり顔を合わせる機会が少ない。しかし、機会がないからと待っていたらいつになるのかわからないので、今日は使用人として彼に近づく計画を立てた。
玄徳は朝議が終わると自室で朝食をとる。まずは、そこを狙うつもりだった。
花は静かに玄徳の自室の扉を開ける。彼の部屋を訪れるのに、こんなに緊張するのは久しぶりな気がする。
硬い木の扉が開く音は、彼女の心の音を表しているかのようで、更に緊張が増す。
玄徳の姿はまだなかった。他の武将の姿も見なかったので、まだ朝議は終わっていないのだろう。
「……お茶が冷めないうちに帰ってきてくれるといいんだけど……」
そうは思いつつも彼の姿がない事に少なからず安堵を覚え、花は盆を卓の上に乗せると自身はその前の椅子に腰を下ろした。
気が抜けたのと、朝から使用人として朝食を作るのを手伝うため早起きしたのとで、座ったとたんに一気に眠気が襲ってくる。
「……ちょっとだけ、ね」
そう言い訳をし、机に顔を伏せると一気に眠りの中に引きずり込まれた。
昨夜も色々と考え事をしていたせいで、あまり眠れていなかった。そのせいか、花は扉が開いて部屋の主が帰ってきたことにも気付かなかった。
◇
玄徳は恒久的になっている寝不足のせいで頭痛を訴える頭を振り、自室の扉を開けた。
脳内では朝議の内容がぐるぐるとまわり、頭痛は更に増していく。
しかし、目の前に突如現れた光景に、その頭痛も一瞬で吹き飛んだ。
「花……?」
辺りを見回して確認するが、そこは紛れもなく自分の部屋だった。
彼の机の上で、花は穏やかな表情で眠っている。その横にはおいしそうな匂いをたてる朝食まで用意されていて、玄徳は腹が鳴っているのか胸が高鳴っているのかわからなくなってしまった。
近づくと、花は小さな寝息をたてて眠っている。久しぶりに見るその寝顔は穏やかで愛しいと思う気持ちが玄徳の中からあふれ出してくる。
そっと彼女の頭に手を置くと、柔らかい髪の毛の感触を確かめるように撫でる。
そうすると、無意識なのか花が小さく笑った。思わずその唇に手をやり指先で輪郭を確かめる。しっとりとした唇の感触に、時折微かな吐息がかかり、体が何日彼女を欲しているかを知らせてくる。
「花、花……」
何度も名を呼ぶが、彼女は起きない。その事実が玄徳の行動を更に助長した。
身を屈め、花の柔らかな頬に唇を落とす。続いてその上にある耳に小さく息を吹きかけると、彼女が小さく身じろぎした。
しかし、やはり起きる様子はなく、玄徳はそのまま小さな耳殻を舌で辿った。
「ふ……ぁ……」
彼女の甘い声に、思わず眩暈を覚える。
玄徳は、自身の拳を硬く握り締めた。
◇
「……あ、れ?」
「……ん? ようやく起きたのか」
花が目を開けると、のんびりとした声が横から聞こえてきた。
勢いよく飛び起きれば、自分の横で玄徳がちょうど朝食を食べ終える所だった。
「ご、ごめんなさい、私、うっかり寝ちゃってて……」
謝ると、玄徳はにこやかに最後の一口を食べ終えた。
「うまかったぞー。おまえが作ったのか?」
「え、あ、はい。教えてもらって……」
褒め言葉に、花は顔を綻ばせた。寝てしまったのは失敗だったが、頑張って早起きをした甲斐はあった。
褒めた後の玄徳は、必ず頭を撫でてくれるはずなのだから。
だが、しかし――。
「……よし、じゃあ俺は予定があるから、ちょっと出掛けてくるぞ」
予想に反し、玄徳は花に手を伸ばさずそのまま立ち上がった。
その手には朝食の盆が載っていたので、花は慌ててそれを奪い取った。
「私が返します。私の仕事ですから」
「お、そうか? じゃあ頼むな」
「……はい。いって、らっしゃい……」
当初の目的を果たせぬまま、花は玄徳の背中を見送ったのだった。
結局その日花は、使用人として世話を焼くべく玄徳の周囲をうろついてみたものの、頭を撫でてもらうどころかろくに彼と会話も出来ないまま夕暮れを迎えることとなってしまった。
花は玄徳の部屋の前の廊下で、大きな溜息をついた。
一日彼についてまわっていた為、彼がどれだけ忙しいのかが身を持ってわかった。
「あんなに忙しいのに、頭撫でてくださいなんて言いにいく私ってバカだよねぇ……」
花はもう一度大きな溜息をつく。溜息は風に乗り、夕暮れの空へと吸い込まれていった。
それと同時に、頭を撫でてもらいたいという欲望も、心の底へと仕舞いこんでしまおうと心に決めた。
その時だった。
「花?」
不意に後ろから声がかけられた。
逆光で顔は見えないが、その声は紛れもなく玄徳のものだった。
「玄、徳さん……」
「おまえ、仕事はもういいのか?」
「はい。あまり皆さんに迷惑をかけるなって雲長さんに怒られちゃいました」
「はは、確かにな」
朗らかに笑いながら、玄徳は自室の扉を開けた。
それをぼんやりと見ていると、花は自分が手招きされていることに気付いた。
「玄徳さん?」
「何か話があるんじゃないのか? 今日一日、様子がおかしかっただろ」
「……あれは、もういいんです」
「いいってことはないだろ。とりあえず入れ」
手首を掴まれ、彼の部屋へと導かれた。
決して強引ではないその力は、それでも抗えない何かを感じる。
「それで? 何があったんだ?」
改めて聞かれ、花は口ごもる。
つい先程言わないと決めた所なのに、その舌の根も乾かないうちに言えるわけがなかった。
しかし、そんな事が通じる玄徳でもない。
真っ直ぐな黒い瞳は、彼女を射抜き嘘は通じないと暗に語っている。
どうしようかと逡巡したが、それでも彼女は口を開いた。
「あ……」
「あ?」
「あたま、を、なでて、ほしかったんです……」
「頭?」
呆れた声を出されて、花は思わず目を瞑り言ってしまった事を激しく後悔した。
疲れている玄徳を前に、自分の言葉は何と陳腐な事か。これでは、日曜日に遊びに連れて行ってくれないとせがむ子どもそのものではないか。
後悔が恥ずかしさに変わり、花はいたたまれなくなって立ち上がった。
しかし目の前の男は、それすらも許してはくれない。
立ち上がった花の手を再度握った玄徳は、そのまま彼女を自身へと引き寄せた。
「え?あ……っ」
固い胸板を頬で感じ、玄徳に抱きしめられていることを自覚すると、花の頬は熱を帯びる。
「……そういうことは、早く言え」
耳元で低い声が聞こえたかと思うと、花の頭は大きな手で覆われた。
髪の毛を優しく梳かれ、無骨な掌が何度も頭の上を往復する。
懐かしい、それでいていつもより優しい感触に、花は思わず涙を浮かべた。
「玄徳さん……嬉しい」
小さく呟くと、抱きしめる腕の力が不意に強くなった気がした。思わず顔を上げると、待っていたかのように玄徳の唇が花のそれに重なる。
口付けは何度も繰り返され、少しずつ深くなっていく。息が合わなくなり口を開けると、玄徳の舌がするりと忍び込む。そのまま舌先を吸われると、頭の先が一瞬で痺れた。
力の入らなくなった体を玄徳の逞しい胸に寄りかからせると、口付けは激しさを増していく。口腔内がどろどろになるほど探られ、花は今何が起きているのかさっぱりわからなくなっていた。
「ふ……あ、ぁ……っ」
ようやく唇が開放されたかと思えば、玄徳の唇は首筋を通り彼女の白いうなじをぺろりと舐め上げ、誘われるように吸い付く。
「や、げ、玄、徳さんあ、痕が付いちゃう……っ」
「付けてるんだ」
「ええ……やぁん……」
花の反論も押さえ込み、玄徳は花の着物の袷を左手でぐいっと開く。大きな手はそのまま彼女の内を暴こうと動き始めていた。
「や、何で、玄徳さんっ」
「……おまえが誘ったんだろうが……」
耳元に口付けを落とすついでに、耳の中に熱い声が入ってくる。
「さ、誘って、なんか……ただ、頭撫でてほしいって……」
「だから、撫でてるだろう?」
確かに、左手は花の体を好き勝手に蹂躙しているが、右手は彼女の体を支えたまま器用に頭を撫で続けている。
「で、でも、でも……っ」
「……簡単に頭撫でたら、止まらなくなるから自重してたんだ。それをおまえが誘った。……悪い、止まらないから諦めてくれ」
「え、え、え……?」
そう宣言すると、玄徳は花を抱き上げそのまま寝台へと運び込んだ。
その日の行為は常に頭を撫でられるという不思議なものだったが、いつも感じていた安心感を得る余裕など一切なかった。
同時に、花はもう二度と不用意な発言はすまいと心に決めたのだった。
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玄兄、一回目は待てができたんですけどね
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